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まい泉初代社長・小出千代子著「ひと皿のこころ」を探し出して読んだし本店にも行った

https://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/backnumber/2018/1108/

NHK以外の地上波だとプリキュアのほかにTV東京の『カンブリア宮殿』をよく見ていて。まあともするとヨイショ番組にもなりかねないとこで意外と踏みとどまって現在進行形の「プロジェクトX」っぽくなる瞬間があって燃えるのと、小池栄子の有能さに惚れ惚れするのと、最近ちょっと村上龍自体を見てるのも面白くなってきてる(何かだんだん割烹着が似合う感じになってきてて)というか。で、こないだそれの「まい泉」回を見て、番組内ではサラッと触れられたきりの先代の社長の話が激しく熱くて、これはweb上の記事とかじゃなく御本人の書いたものとか詳しく書かれたルポとかあれば読みたいな、あるかな…と思って調べたら、著書が一冊あるにはあるんだけどとっくに絶版かつ古本でも取り扱いがなく、でもそこで諦めずに探して香川県の図書館に一冊あるとわかり、でもさすがに無理だ…となったら別ルートから情報が寄せられて(図書館の蔵書を探す手段て複数あるのね)目黒区の図書館に一冊あると知り、日曜に出向いて借りてきた。神奈川県民でも東京の図書館カードは作れるので大丈夫。

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手に取ると「この本のためにここに来たのだ…」という妙な感慨が。

そんなわけで、ざっと検索しても内容に触れたところも見当たらないし、入手もこの通り困難なので、読んでみて簡単に箇条書きしておこうかと。せっかくなんで。自分の感想は【】の中に。

  • この本は昭和60(1985)年に、開店20周年を記念して書かれたもの【この時点で社員は300人。店舗数も20を越えています。いや実際すさまじい。並の才覚じゃない】
  • まずは飯田深雪氏からの祝辞【料理研究家。そしてアートフラワーの創始者。団塊の世代にはすごく有名らしい。本には名前しか載ってないので調べてビビるパターン】
  • 本人のご挨拶ののち、楽譜とともに掲載される社歌。作詞は橋田壽賀子で歌唱は倍賞千恵子【いやすごい。人脈の底知れなさに戦慄する】

〇実家は長野の商家。祖父母は線香花火の発明家でもある。線香花火の火花とうちのとんかつの衣の立ち具合には通じるものがあるのでは、と著者本人も思う【おっと出た!まい泉のとんかつの衣がピンと立っている状態、通称「剣立ち」!カンブリア宮殿にも出てきました!】
〇医師になる夢があったが「女の医者などに誰がかかるものか」と父親に大反対され、英文科に進むこともかなわず、やむなく家政科に【朝ドラで見慣れた悔しポイント貯め期間だ】
〇そんな厳しい父の元、日本舞踊の稽古に励んでいて、ある発表会の席で日本画家の加藤晨明と出会い、絵のモデルになることを依頼される。父は拒絶するが、熱心にアタックされ続け最後には折れ、描かれた絵は日展で特選に【この本の表紙の絵です】
〇加藤先生の紹介で日本画壇の重鎮、中村岳陵の息子の、11歳年上の美術評論家と結婚することに。その時17歳
〇子供が生まれ、お茶の水女子大の幼稚園に通うため逗子の中村邸から両親が買っておいた池之端の家に引っ越す
〇子供が慶應の幼稚舎に通うため青山に引っ越す
〇息子の家庭教師は、銀座の老舗・文祥堂の息子で早稲田の学生さん【だから何?と思うかもだけど後で出てきます】
〇息子に手がかからなくなった30歳のとき、商売を始めることを決意
〇岳陵先生の奥様は駒形どせうの主人の実姉であったこともあってか、賛成してくれた
〇検討の末、銀座松屋の専務のアドバイスを受け、とんかつ屋を志す
〇とんかつ食べ比べ行脚の末、一番美味かった店に何度も頼み込み、湯島井泉へ弟子入り【ゆしま…いせん…まい泉の原型だ!…にしても何度も断られるの、修行パートの定番ではあるけど実際やる人ほんとすごいと常々思ってる】
〇そこで7年修行。35歳になる【ときどき微妙に数字がブレる気がしますが、まあ大体で…】
〇独立することにし、物件を探す。青山の歯科医(三井不動産の社長と知り合い)の紹介で、日比谷の三井ビルの地階の20坪の物件に決めようとする
〇ただ担当者は難色を示す。経営者としての実績がなさすぎると。そこで交渉の末、20坪の半分をプロの業者と分け合い、立ちいかなくなったら自分は出て行くという条件で話がまとまる
〇開業資金を見積もったところ一千万越え。長野の実家が援助するという声もあったが、弟のアドバイスで三井銀行から借りることに
〇昭和40年12月24日、「有限会社井泉(日比谷店)」オープン【会社名、暖簾分けみたいな感じなのかな】
〇場所がよいからか、最初から大勢の客が来る。手が足りないので、さまざまな人が手伝いに来てくれた。息子の家庭教師をしていた人まで【この、今まで関わった人が手助けに来てくれるところが主人公感あると思いませんか。そしてまだ伏線は回収されてません】
〇店は繁盛するが、およそ一年ほどたったところで家庭裁判所から離婚の申し立てが。色々あった末、離婚することに【義父の記述はかなりあるのに、夫の描写が全然ないので、理解あって好きなようにやらせてくれる人なんかなー…と思っていたらまあその…まあ…】
〇ちなみに息子は高3で日展の特選をとり、慶應を卒業したら日本画家となる【この本の挿絵も息子さんのものでした】
〇昭和42年6月、再婚。相手は息子が10歳のときから家庭教師をつとめていた文祥堂の跡取り息子。7歳年下【はい、ここで伏線が回収されましたー!…って、正直びっくりだよ。え、ていうか、えっ…】
〇お互いの家族に反対されるが、色々あった末、厳しい小出家の父の意向を受け、彼が婿養子になるということに【おお…】
〇彼は厨房に入り、洗い物もやり、とんかつ修行もきっちりやり遂げた素晴らしきパートナー【まさにごちそうさまです】
〇催事場への出展を経て、昭和42年、三越本店地下に常設店オープン
〇昭和47年、三越地下にサンドウィッチコーナーを出店。以降順調に店舗を増やしていく
〇昭和50年5月、エリザベス女王とフィリップ殿下の際、迎賓館にとんかつ弁当を納める【こういう話で大好きなパート、世間が羨む成功の連打開始。ゴーストバスターズとかね】
〇昭和52年は出店ラッシュ(4月に渋谷の西武、6月に伊勢丹新宿、10月に池袋西武と船橋東武)。さすがに仕込みをする場所が手狭になってくる
〇青山に百坪超の物件があり、場所は裏通りなのだが、自社ビルを持つ夢のため一大決心して購入する
〇ビルの内装はデザイナーである末の弟がやってくれた。設計は弟の同窓の早稲田の建築学科からハーバード大学院に進んだ先生
〇昭和53年7月に自社ビル完成。父に見せたかったが、3年前にこの世を去っていた
〇こうして出来た青山本店は地下一階、地上三階建て。一階カウンター席24席、二階和室60席、洋室40隻
〇オープンの日は埋まるか心配で知り合いを動員したが、それはもう大混雑したので配膳やら手伝ってもらった
〇こうして本店周辺は当初は閑静な住宅街だったが、徐々にブティックなどが立ち並ぶお洒落な街になっていった
〇昭和57年、本店の隣の銭湯が売りに出されたので買って内装をそのまま生かす形で店舗にする。敷地は合わせて四百坪に【2020年追記・ここ行ってきましたよ。確かにいい内装。空間が抜けてて気持ちいい】

【ちなみにこの日に食べた定食】

「いつでも食べられるようになりなよ」「でも距離的に遠いから…」

〇高度経済成長下、野放図な量産によって豚肉の質は低下していた。そこでとんかつの味を維持するため、自家製ソース作りを目指すがあと一歩のところで行き詰まる。そこで一面識もなかったが飯田深雪先生に会おうと決心するし、いきなり電話する【割といつものことです。こういう時の押しの強さが成功するかどうかみたいなね】飯田先生からは素晴らしいアドバイスを受けられた【まさにコミュ強、人間力だよ】
〇当時の農林省が号令をかけ、豚肉の質を高める中央畜産会が結成される。西友や伊藤ハムといった専門家メンバーの中に青山井泉も選ばれることが出来た
〇昭和54年、NHK「きょうの料理」に夫とともに出演。最初は躊躇したが、飯田先生の勧めもあり決断した。反響が物凄く、本店の電話がパンクした
〇橋田壽賀子脚本でとんかつ屋の四人兄弟を描く宇津井健主演のTBSドラマ「心」ではとんかつの作り方の指導をした。打ち上げの席で石井ふく子プロデューサーに橋田先生を紹介され、それ以降親しい付き合いとなる【それで社歌まで行っちゃうのがまた凄い。もう凄いしか言ってない】
〇このように、知り合うことが出来た方々、力を合わせてきた家族・社員、そしてなにより店に足を運んでくれたお客様があっての今日であり、これからもいっそう精進してまいります【順当なまとめで終了。まぁそうなりますかね。てかもうこちらも言うこと全くないよ】

この本の時点では屋号は「井泉」のままで、でも昭和58年の本店改築に合わせて「青山井泉」から転じて「まい泉」が商号になっているとか、昭和53年の青山移転時にはもう変わってたという記事もあるんでその辺がちょっと読んでて混乱するというか。
楽しみにしてた日比谷でのかつサンドと宝塚の記述はなし。ネットだとこの記事↓とかに軽くあったり
http://bunshun.jp/articles/-/4678?page=2

どうなんだろ、ご本人の中ではトークの掴みならいいけどそんな自伝に書くほどには重要なトピックでもなかったんですかね。まあ冷静になるとちょっとサンドウィッチ伯爵みたいな多少盛ったエピソードっぽくもあるかな…

 

(2023年追記・番組放映から少ししたら蔵書してたのを思い出して放出した人がいたらしく、ぽつぽつと中古の本が出たんだけど、最初の値段は3000円くらいだったのにみるみるうち高騰して今12万越え!無茶!再販して!(しないよ…))