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「一命(3D)」

ふざけたところの一切ない、真面目サイド三池の貧乏ホラー時代劇。だけどお話がいかんせん理不尽で、それは理不尽な思いをしてもらうためにまさに書かれたということはわかるんだけど、わかったところで別に納得は出来ず、取れかかった首をさらに捻りながら劇場を後にする羽目に…。海老蔵も、この撮影の直後にあんなことになってしまうのも納得してしまう異次元の熱演と言えるけど、にしても瑛太と満島ひかりの親ってなぁ。舞台なら納得するけど、映像じゃ個人的に無理だわ。でもって「切腹の映画で3D?内臓が飛び出すの?」とちょっと思ったけどそんなことはなかったので2Dだけでよかったね。まあ思うなよっていうか。「十三人の刺客」で3Dやっとけばよかったのにね。こっちの主要客層(年齢高め)は求めてないだろ。
なにはともあれ、海老蔵の話を一通り聞いてからの役所広司の第一声があまりに正論すぎて思わず吹いた。いやまあ、瑛太に対する部下(青木崇高だ)の対応には思いやりと手加減が足りなかったと思うけども、そもそも瑛太が言い出したことだからなあ。さらわれてきたわけでも、無理やり言わされたわけでもなくて。あれはとにかく「武士に二言はない」って最初に決めた人がすごいよねっていう。いまだにこの言葉残ってるもんね、凄いよね。にっちもさっちもいかない地獄の理想論。どんだけの貴重な武士がこの言葉のために…。
で、何が理不尽って、そもそも瑛太たちの窮状に役所その他が関与してないんだよね。たまたま近所にあっただけで来られちゃって。「もともと同じ側について戦って負けたのに、お前だけうまく立ち回りやがって!」とかじゃなく、権力争いで陥れられたとかでもなくて、もうひとつ上の、幕府の意向という感じで。そりゃ大きく括れば「同じ武士で!この境遇の違い!」ってなるけどさあ(まあそれは「同じ猫で!この境遇の違い!」にも通じて、ちょっと面白いけどね。あの二匹の猫、同じタレント猫が演じ分けてたら面白いよね)。まあそれがまさに格差社会ということでフックになるということで企画がスタートしたんだろうけどもさ。だもんで「『ここで死なせてくれ』と言われたところで全てを察してそれを拒絶し、黙って大金を融通して帰してくれればこんなことには」って話にもならんしねえ。そういう「いやエスパーじゃねえし」って思っちゃうような流れ、現実でも嫌いなんだよね。わかるわけないっての。
海老蔵の例の暴行事件と、震災だよね。あれがなければ違ってたよね、受け止め方も。震災まではNHKでも「無縁社会」とか「格差社会」とか煽って「無知な貧乏人がのたうつさま」をホラー演出でノリノリで描いてきたけど、さすがに震災このかた「人々が絆を求め始めた」っていういい話方向に切り替えたもんね。もうちょい下り坂が緩やかな状況ならいけたかもしれないけど…。貧乏が怖い、病気が怖い、身を守る仕組みが崩壊するのが怖いって、もはやただの差し迫った現実だしね…。海老蔵も、暴行事件の被害者とはいえそこに至る経緯というものがあるわけで、それらがさんざん報道されちゃって、加害者サイドが吹きまくったソースがあやふやなところを差し引いても、どうにも迂闊だよな!という結論を観客の殆どが持っちゃってる状況下では、「ここまで誠実に生きてきたが…」って役もね。どうにも鼻白むっていうか。「現実世界のことは映画に関係ないだろ」ったって、いやどうにも無理。どうしたって反応しちゃうよ。むしろそれが醍醐味っていう。その点で「十三人の刺客」の稲垣吾郎や「一本満足バー」の草なぎくんとかの振り切れ加減はかなりしっくりきた例だ。針を逆に振れば「デュー・デート」のロバート・ダウニーJRみたいな。
そうやっていろいろ言いつつも、猫もそうだけど、たとえば高熱を出した赤ん坊の顔とか、ちょっと前に見た朝ドラ「おひさま」の子供が高熱出して命が危険ってシーンのときの何も手を加えてない素の赤ちゃんっぷりに比べれば、えらいちゃんとした息も絶え絶え具合だった。そういうディテールはよかった。美術はよいし、殺陣もよいし、撮影もよく、締めかたも決まってる。