honkyochiblog

さようなら、はてなグループ…

謝罪デビュー

織田信成の謝罪会見での涙の流し方には感心した。
ブレザーを着て登場、会見途中で声を詰まらせてうつむき、しばしそのままで肩を震わせ、
そして顔を上げると同時に頬を涙が一筋伝い、そこでさらに「申し訳ございませんでした!」。焚かれるフラッシュ。
うつむいてる秒数といい、涙のラインといい、完璧だった。思わず唸った。
これぞ謝罪。誰もが満足する、皆が見たかった謝罪だ。
我が国において、謝罪界の層は厚い。連日、どこかで誰かが謝罪していて、各企業が共同で開発したマニュアルには、理想の会見場所(企業ならなんかごちゃごちゃした資料室みたいな部屋、芸能人ならホテルの宴会場など)から居並ぶ関係者の人数、お辞儀の角度まで、様式美が確立され、謝罪王の座を巡り、皆が覇権を争っている。王座を狙いたいがためにわざと不祥事を起こす企業も後を絶たない。自然と観客の目も肥え、通り一遍の謝罪では事態は悪化するばかりで、次なる謝罪のハードルは遥か見上げるほどのものになる。そんな謝罪界でトップに君臨するのは並大抵のことではない。記憶に新しいところでは、日本に六千万人はいると言われる謝罪マニアをも唸らせた、シャブと大麻で捕まった旦那のことで泣いて謝ってその年の紅白出場につなげた時の川中美幸の謝りっぷり、あれは凄かった。その紅白で「二輪草」歌って歌詞の夫のあたりでまた泣く、という締めも効いた。空気を読みつつ、とにかく実に演歌っぽかった。
やはりその日のうちに泣いて謝るの、最善だね。まあ違反とかしないのがもっと最善だけどね。観客にマイナスの感情を溜め込む時間を与えずに「世間をお騒がせしてand応援してくださる皆さんの気持ちを裏切って、申し訳ありませんでした!」と畳み込むことにより、「…ま、被害者もいないし本人泣いて謝ってるししょうがないか」と思わせることに成功した。会見自体から逃げたり、本人や周囲の言い分が二転三転するのは下の下。引き伸ばしたところで謝罪マニアの謝罪鑑賞欲を吊り上げるだけで得るところは少ない。それどころか謝罪マニアを越える自決マニアが現れ収拾がつかなくなる。だからもう何でもいいから、とにかく泣いて謝っちゃう。それで一度は乗り切れる。
問題は二度目だよなー。いや、一般論として。