最初の15分くらいは本気でいたたまれなくてスクリーンとの距離が3倍くらいに遠く感じられて「ああああやっぱり三池には男が殺し合う映画以外作らせるべきじゃないんだこういうのの監督は金子修介か中島哲也に任せて脚本はクドカンあたりに…」となってしまったんだけど、それを乗り越えたらドロンジョに集中することでどうにか乗り切れた。それも深田恭子(および衣装さんとメイクさん)と生瀬勝久*1の頑張りによるものであって、プロデューサーは脚本家が第一稿を上げた時点で交替させて、いくつかのギャグだけ残して新しい脚本家にリライトさせるべきだったと思う。人気あるアニメを実写化するというリスクを負い、安くない金が動くんだから。「罪とか罰とか」の何倍の予算か知らんけど、数分の一も笑いを取れてなかったのは真剣にマズいだろう。ジャニオタとおぼしきおねえさんも帰りの通路で「見てしまった…」と呟いていたけど、ほんとだよ。ジャニーズ税*2も相当高そうだ。
最初の15分というか、まあアバンタイトルってすごい重要じゃないですか。「ヤッターマン世界なんだから何でもアリですよ」とか「もともとユルい作りなんですから」とか嘯くかもしれないけど、だったら作り手は観客をその世界にスムーズに導かなくてはいけないわけでさ。勝手に突っ走られても誰か他の人に勧められないし、そんなんこんなで次につながらなければ、結局関わった全員が幸せになれない。それはあまりに勿体ない*3。
あ、特別出演枠で、どくろ鮨の客として小原乃梨子とたてかべ和也がいるのに八奈見乗児がいなかったのは気になるというか、心配になった。どうしたんだろ…ただスケジュールが合わなかっただけだと思いたいけども…あ、「顔出しの仕事は絶対しねえ!」というポリシーかもしれないか。
山ちゃんこと山寺宏一があのシチュエーションで何を叫ぶべきだったのかというのも考え中。ありゃねーよな。貴重な山ちゃんが…
クライマックスの舞台が登場する時のCGだけはなぜかかなり見ごたえがあったが、いかんせん闘いとその締めが冗長に感じた。
で、エンドクレジットでは絶対にドロンボーのテーマを流すべきだろう。嵐の曲はしょうがねえからイメージソングにする。
結論としては、同じ三悪メンバーで一味が結成されるまでを描く「ドロンボー・ビギニング」を作るべき。