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honkyochinikkiから派生しました

「ラブ・アゲイン」(2回目)


(ネタバレのみを含むので観た人のみで)

(ダメ。絶対!)
とにかく、最初っから語られてるにも関わらず、なぜあの瞬間まで関連づけて考えられなかったのかっていうことだよね、ナナの存在を。なぜ一度たりとも、脳裏をかすめもしなかったのかと。
思うに、このようなフィクションを(原作などの)前情報なしで見る場合に、名前だけ出てきたキャラクターのことを人はそれほど覚えていられなくて、そこをうまいこと突かれたというか。というか一度でも「名前だけ出てきて、後で登場する」というコンボを提示されると、そこで満足してしまって他が留守になってしまうというか。最初から観ていくと、序盤で、放心状態でスティーブ・カレルがアナリー・ティプトンを送るときにナナの名が出てくるんだけど、それより前に、スティーブ・カレルとジュリアン・ムーアの会話で「デヴィッド・リンハーゲン」なる人物の名が出てきて、それが後にケビン・ベーコンでしたーっていうコンボがあると。そしてそれにプラスして、「本人がまず出てくるけど後で関連がわかる」っていうコンボをマリサ・トメイのパートでやってるという。このふたつが揃ってかなりな効果を生んでいるなと。2回目なので注意して見たよ、息子が教室で「アス」を連発して怒られるくだり。親のジュリアン・ムーアを呼び出して怒ってるのは校長か教頭か、そういう人なんだよね。んで教室のシーンでは担任は画面から切れてる(それが不自然でないようなカット割りで)。そもそもそこは長男がどういう子かを描写するくだりなので担任はどうでもいいと*1
そして状況設定として、スティーブ・カレルとジュリアン・ムーアは高校出てすぐくらいに結婚してる(そして20うん年たっちゃった…というセリフがあった)。そんな早い時期に結婚したっていうことは、いわゆる出来ちゃった婚かなと思われるけど、にしては長男はまだ15歳くらいで、ここで「あれ」っと思ってもいいわけだけど、観てる最中はいろんなことが起こってるのでとてもそこまではいけない。さらにスティーブ・カレルはバーで酔った勢いで「娘が6歳のとき〜」と思い出話をするけど、それもいま家にいるちびっ子のことを言ってるのではない(だって今まさに6歳くらいなわけで、そんな懐かしそうに喋るのは変だ)。ここでおかしいなと思ってしかるべきなのに、そんな余裕はとてもない。エマ・ストーンにしても先にライアン・ゴズリングに「個人的な質問をしてくれ」って言われてそのまま聞き役に回って、そしてその内容が観客にとっても気になる「どうやって食ってんだよお前」に関する話なので、やっぱり思い至らない。あくまでライアン・ゴズリングが人生を見つめ直す役割だと思ってしまう。
そもそも家族全員の写真は飾ってなくて、基本は冒頭から出てくる夫婦のみの写真だったりと、いろいろな小技でそこまで到達できない。そういう絶妙に上手い構成になってる。
(もうちょっと書くかもしれないけど先を急ぐのでとりあえずここまで。もう正月になってんだよ…)

*1:「緋文字」を教材にしてるときにメールで「デミ・ムーアアシュトン・カッチャーもずいぶん年の差があるよ(だから僕らもおかしくないよ!)」って打ってるのおかしいよね。「緋文字」の映画版「スカーレット・レター」に出てるわ、その後別れてるわで