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「私の優しくない先輩」

川島海荷を取り巻く全てが川島海荷の魅力を削ぎに迫り来る!果たして川島海荷と観客は無事にエンドクレジットまで辿り着けるのか?!みたいな参加型サスペンス。そうとでも思わなきゃやってらんないというか、そう思えれば「なんだと?!…やってやろうじゃねえか!」みたいな気持ちにもなろうという。「不利な戦いほど燃える」みたいな厄介な性癖の方たちにおすすめ。上映後の通路で一瞬目が合ってすぐ伏せた観客男性の「こんなもん見ちゃって…」と言いたげな自嘲ぎみの笑いに全てはこもっていた。苦しい戦いだった。
脚本と演出とカメラワークは「覚束ない」の一言で、共演者は皆「いや、本当にこのたびは…」と言いたくなるような残念な扱い。別の場所で会ってれば、もっといい関係が築けたよね…。そしてモノローグの問題はその量じゃなくてひとえにその内容のつまらなさ。もっともっと練り込んでもっともっとリズミカルにそしてギャグ豊富にしないと無理。無理むり無理。タイトルロールの「先輩」を演じる甲斐がない役にしてしまったのは脚本と演出の責任。マットに引っ張って転がそうとするあたり、主人公の設定を考えたら(いやそうでなくてもあまり)やっていいことじゃないのに、後から「すごく心配してたんです」っつっても説得力がなさすぎてコメディといえども不快。お前がマットに海荷を叩き付けたあの場面、頚椎でも損傷したら取り返しつかないだろっていう。「いやギャグですよ」っつうなら難病で死ぬかもって設定をナシにしろと。あと主人公の母親っていう大事な役を演じる小川菜摘は「地味ながら、重い一撃」って感じの一歩抜きん出た残念さだった。扱いじゃなく、たたずまいが残念。いつぞやの不幸な事件のとき「万引きなんてよくあること。お店も配慮してくれないと」って言ってたおばさんみたい。出番まとめても数十秒なんだけど。あと「ショックを受けた瞬間、周りの壁が全部倒れてそこは野っ原」…みたいな「監督が面白いと思う表現」もいちいち骨身にこたえる。いらないんじゃないかな!そういうの今さら!だから一部で話題の「『綺麗な夕焼け』が白く飛んでる問題」とかはもうどうでもよくて、いいからずっと海荷にピントあわせておくしかないんじゃないかなと!海沿いの環境での高校生活を描いて海水浴はおろかプールのシーンすらないのとか正気なのかと!たこ焼き焼く練習なんて見栄えのしないこと何日やってんのかと!かなと!
しかし、そういう攻撃全てを「この映画は友達がとんでもない借金背負って作ったもので、主演の子もちっちゃい時から知ってる近所の子なんじゃないか?(そんな子の水着姿とか期待する方がどうかしてるよね!)」とか想像力の翼を広げてどうにかしのぎ切って息も絶え絶えの観客の前にようやく訪れるエンドクレジットの「MajiでKoiする5秒前」には、「これだけ苦労したのだから、これは素晴らしいものではないか?」という判断能力の低下もあいまって、不思議な解放感があった。ようやくここまで来れたんだ!やり遂げたんだ!本編中、「右利きなのに腕時計、右につけてるんだなあ」とか「眉毛と目の間隔が本当にせまいなあ」とか「お弁当のシーンでちゃんとカルピスウォーター飲んでるなあ」とか「国仲涼子加藤ローサの延長線上に入るかなあ」とか数々の思いを抱いて一緒に走ってきた川島海荷がこのエンドクレジットでチラッと見せる、なんとなく鍛えられてるっぽい腹筋とヘソには、何かがあると言わざるを得ない。そうだこれを見届ければ、みんな家に帰れるんだ!何かあるに決まってる!だからカメラは一瞬たりとも川島海荷から離れるな(体育館に向かう先輩など一瞬でも追うな)!そして最後の最後は海荷だけクレーンで上昇しろ!「ビョークの『イッツ・オー・ソー・クワイエット』みたい」だ?ええいそんなん気にすんな!