honkyochiblog

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「ブリュレ」

監督が早逝してしまったとYahoo!のトピックスで知って何か気になって劇場へ。そのことは本当に残念だけど、だからこそ無理に褒めたりせず、きっちり書いておかなくては。それが筋な気がする。


「離れ離れで生きてきた双子の姉妹が再会したことによって始まる物語」ということで現時点ではそりゃどうしても「だんだん」を思い浮かべてしまうわけだけど、投入されたネタの密度(と可笑しさ)、変化する人間関係などの基本の踏まえ方では「だんだん」の勝ちだなあ…映画と朝ドラ比べるのも何なんだけど…そして目指す地点も絶対に違う作品なのは山々だけど…。個人的には、ドラマでは細部を掘り下げつつ飽きないように細かくツッコミ所を作るべきだと思うし、映画では映画でないと出来ないような常識やモラルの揺らぐ瞬間と見たことのない息を飲むような光景を作るべきだと思うしで、それらの完成形は自ずと違うけど、それでも観る者に与えるインパクトなど、評価する上で通じるものはあるなと。
ロケの頑張り具合では互角(だが正直、こっちの話では南の方に行った感じは欲しかった)、ヒロインのかわいさに至っては(劇場出たらロビーにいて不意をつかれた。実物すっごいかわいい!撮影したときよりかわいくなってる!なぜ舞台あいさつやらんのでしょうかぜひやるべきですよ)こっちの完全勝利なんだけどね。
随所に、いい感じの移動撮影があり、「あともう少しで傑作になりえたかも」とは正直思った。
さて、そんなわけで…
(ネタバリュレを含みます)


○登場人物の設定
味覚障害のパティシエの叔父とか脚を骨折したキックボクサーとか、それぞれ欠落を抱えていて、というのは分かるんだけど、彼らの技能がストーリー展開の上でほとんど生かされないのは勿体ないというか、あまり納得が。
それらもさることながら、双子の片方の病気のような重要なことがセリフでしか説明されないのが「映画は出来る限り映像によって語るべきではないか」派としては何とも不満。


○人物同士の関係性
物語の進行に従って登場人物の関係は変化していくべきだと。ロードムービーになればなおさら。
双子の逃避行の手助けをすることになるキックボクサーと幼馴染みの消防士見習いは、双子に「具体的な」何かを授け、あるいは受け、それがまた双子の関係性やその行動にも大きな影響を与えて欲しい。何かというのはそれこそ何でもいい。情報でも、アドバイスでも、技でも、心意気でも。幼馴染みは、彼しか知らない事実を告げに来るべきだし、キックボクサーは客観的な意見とか、直感で何か見抜くでもまあ何でも。何かに襲われそうになった双子をギブスを割る勢いのキックで助けてもいい。その後脊髄を損傷して病院に直行するのも良しだ(悪いよ)。誰もがカケラもスケベな気持ちを持たない(いやまあ気持ちはあったのかもだけど、そういう行為に及ばない)のも、それはそれでどうかと…ああこれは個人的な意見で。とにかく何かもうちょいあるはずだと。


○過去・回想
結局のところ、子供時代の火事が全ての起点になっているので、そこはきっちり(映像で)描くべき。「子供時代の無垢さ」みたいな抽象的なイメージだけでは勿体ない。
当人たちが記憶し(て現在喋っ)てることとはズレてていいしね。というか、ぜひズレてて欲しい。そしてそれがクライマックスで補正されて欲しい。「え、ああ、なるほどね、そういうことかあ」という瞬間がやっぱり欲しい。


●見ながら、そして見てから考えた展開
以上を踏まえて…

  • 幼い頃、その「双子」は父親に虐待を受けていた。
  • 双子の片方が父親に火のついた煙草を押し付けられて胸に火傷を負った晩、家は火事になり、酔い潰れて寝ていた父親だけが焼け死ぬ。
  • 母親は、子供が家に火を放ったのだと確信するが、虐待を知りながら放置していたこともあり、警察等にそれを言うことはなかった。
  • 双子はその後、離散した親族に別々に引き取られ、離れ離れに育つことになる。

という前提から始めることにする(話の進行とともに明らかになってくる)。「胸の火傷」という要素をプラス。
実際の映画には母親など、女系の保護者が登場しないけど、あれは意図的なものか。出てこないきっちりとした理由がほしいかな。
で、どっちが何て名前だったか覚えてないので、便宜上、叔父夫婦に引き取られた方をA子、離れて育っていた方をB子とする。
叔父と双子には血の繋がりはない。

やがて病弱だった母親も死ぬ。さらに叔母も。

↑この辺は特に映像では描かれない感じか。セリフのみで処理。出てこないのは実際の映画と一緒だけど。
そして現在になり「祖母も死んだ」ことを告げにB子はやって来る。二人は再会し、ここから物語が始まる。
落とした定期が拾われて…のくだりは変えるかな。別の手を考えようか。
で、身寄りがないので一緒に暮らすことになったB子だが、実際のところ、北国(A子の周辺)で頻発している火事のことを知り、病院を抜け出してやって来たのだ。そんなわけで祖母は生きていて、後で叔父に電話をかけてきて、もっと後で分かる(告白する)ことだが、B子は不治の病である。
川べりで、B子はA子を問い質す。あれはあんたでしょ、どうして火をつけるの、と。
それに対する明確な答えはこの時点では出てこない。そもそも火をつけたかどうかも明言しない。
そして話は過去のことになる。「あいつ」を殺したのは二人でやったことでしょう。なんであんなのが父親だったんだろ。
でも、「あいつ」だっていつもあんなじゃなかった。
二人の心は揺れ始める。あの時父親を焼き殺したのは正しかったのだろうか?
(書き中)

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