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エロシェンコ

中村屋に出入りした多くの外国人、その中の一人にウクライナ生まれのワシーリー・エロシェンコがいました。彼は盲目でありながら優れた詩人で、日本の盲学校で学ぶため、大正6年東京にやってきました。しかし来日後、ロシア革命が起こり、本国からの送金が途絶えてしまいます。それを知った東京日日新聞の記者・神近市子氏が、ロシア文学好きでロシア語堪能であった創業者相馬黒光に世話を頼んだのがきっかけでした。
黒光は、エロシェンコ中村屋のアトリエに住まわせ、ロシア語以外満足に話す事ができない彼の生活の面倒を見たのです。
ところが、エロシェンコボルシェビキの嫌疑によって大正10年国外退去命令を受けてしまいます。相馬愛蔵は、エロシェンコを逮捕する際中村屋に入り込んで乱闘を起こした警官を告訴し、淀橋署長が引責辞任しましたが、エロシェンコがもどることはありませんでした。

何と。
おお。エロシェンコが日本で居合さえ学んでおけば。

そんな不遇な生涯を送ったエロシェンコ中村屋に残したものがロシア料理であるボルシチ。昭和2年、喫茶部開設で売り出し、純インド式カリーとともに店の看板商品になったのです。

いずれ食べに行くことにしよう。
んで